倭寇のイメージ

倭寇のイメージ

sobota, 25 grudnia 2010

sobota, 11 grudnia 2010

手短い前期倭寇の歴史


初めに私貿易を目的としていたが、島々には食物が少なくて、朝鮮半島で食べ物を見つけるために沿海を略奪しはじめました。主な目的は税金とした米や穀がありました。倭寇は米を運んでいた高麗王国の船と米が蓄えられた蔵を攻撃したり強奪したりした後、船に戻って日本の沿海へ逃げて隠しました。時々、高麗王国の地域で上陸して、国の奥にも入り込んで行きました。その時、米穀を略奪しただけではなくて、町を焼いたり、財産を盗んだりして、朝鮮半島の人民を殺害しました。また、日本には戦争や災いため労働力人口が少なくなってしまってから強制連行した朝鮮人を奴隷にさせました。
元寇のとき、1274年と1281年に、一般的に十三世紀の末、倭寇の活動は消滅しました。しかし、十四世紀の前半にモンゴルの危険が滅びたただちに、倭寇の活力は倍になって、もう一度相手国に深刻な脅威を与えて重大な問題になってしまいました。高麗史という高麗朝の年代記によると十四世紀にかけて倭寇は約五百回侵入しました。襲撃した倭寇の集団は数十から数百数隻まで、乗員の数は数千人にのぼったと記録されました。朝鮮を侵入していただけではなくて、明帝国、いわゆる、明朝が支配していた中国は新たな標的になりました。
中国では1368年に明王朝が建国されました。直ちに日本に対して倭寇討伐の要請をするために使者を派遣されました。日本には南北朝の動乱があって、九州に派遣された明王朝の使者は南朝と関係があった懐良親王に会いました。懐良親王は明王朝から冊封を受けて、「日本国王」と称しました。その後、幕府から派遣された今川貞世は九州の南朝勢力を討伐しました。結局、足利幕府将軍の足利義満が南北朝統一して、明王朝から冊封を受けるために倭寇討伐を行って、その結果、「日本国王」になりました。
高麗と明帝国は倭寇に対していろいろな対策しました。一つは沿岸に沿って多くの要塞を建てたものでした。しかし、一番効果的な手段は戦いだったとみえます。最も有名な倭寇に対して戦った高麗王国の大将は李成桂(韓国語でYi Seong Gye)といって、彼は1383年に倭寇軍に大打撃を与えて、1389年に対馬を侵攻しました。倭寇船三百隻以上を撃破し、捕虜を救出し、町を焼き討ちして帰還しました。これ以降倭寇の侵入は激減しました。倭寇討伐で名声を得た李成桂は高麗王国を倒して李氏朝鮮を建国しました。倭寇の勢力は著しく衰退したが、朝鮮への侵入が完全になくなることはありませんでした。しかし、1419年に朝鮮王朝が軍を対馬に送って倭寇を撃破しました。同年に遼東半島で明軍敗れたことが致命傷となりました。

sobota, 20 listopada 2010

前期倭寇の侵入

高麗史によると十四世紀にかけて倭寇は五百回以上朝鮮半島沿海地域を侵入した。
高麗王国は深な問題があったとみえている。
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2202547.html

wtorek, 9 listopada 2010

倭寇は何か

歴史と国際貿易や政治に強い興味があるので、三年生の卒業論文のテーマは”日明勘合貿易”だった。その時、倭寇という日本海賊について知識を増やして、このテーマについて修士論文を書くことにした。
倭寇は一三世紀から一六世紀まで朝鮮半島や中国大陸の沿海地域を侵略したり略奪したりした日本人に対する中国側の呼称だ。実は一五世紀からその集団に日本人は少なくなって、多くは中国人の密貿易者や海賊だと考えられている。
日本の倭寇は九州と瀬戸内海の沿岸漁民や貧乏な農家であり、初めに私貿易を目的としていたが、一四世紀半ばから海賊化した。米穀、人民を奪取したり、殺害したりするなど、隣の国に深刻な脅威を与えて、複雑な問題になった。
倭寇に対していろいろな対策をとった。足利義満に始められた勘合貿易は一つの例だ。勘合貿易などの進展によって、一五世紀中頃に倭寇が鎮静された。一六世紀、中国大陸南岸、南洋方面に再び発生したが、その集団に日本人がすくなかった。
豊臣秀吉で禁制された後、消滅してきた。

今日、新しい倭寇の絵を加えた。楽しんで下さい。

sobota, 30 października 2010

初めに

私は今日、私の一番目のブログをし始める。まだ、ブログしたことがないから、これは新しい経験だと思う。ブログのタイトルは海の歴史。海の歴史というのは何について内容?答えは海賊やさまざまな冒険者などについて。
海は大陸と国々の間に自然的な境だと思う。この境を渡るために勇気があった人々は昔から危なくて長い旅行に出発したと見える。彼らは貿易者とか探検家とか普通な泥棒などだけど、同じ目的があった。有名でお金持ちになるということだ。貿易したり知らない国を探検したり侵奪したりして、そんな人々は国際関係の初めの大使だったといえる。彼らのおかげでいろいろな文化や文明交通するチャンスがあった。これは、私にとって、海の歴史の意味だと思う。
初めに、倭寇という日本海族について数アップデートをするつもりで、後、ほかの海で行った世界で有名な活動について書いたい。例えば、ヴィキング、カリブの海賊、ポルトガルとオランダの探検者などについて。